大名持神社
おおなもちじんじゃ

旧社格 郷社・式内名神大社
所在地
奈良県吉野郡吉野町河原屋86

御祭神 主祭神 大名持御魂神 (おおなもちのみたまのかみ)
須瀬理比咩命 (すせりひめのみこと)
少名彦名命 (すくなひこなのみこと)
末社祭神 金山彦神 (かなやまひこのかみ) 金比羅神社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 若宮神社
保食神 (うけもちのかみ) 稲荷神社
罔象女神 (みずはのめのかみ) 水神社
由 緒
延喜式神名帳に大和国吉野郡十座の一つとして名神大社に列せられ、大月次新嘗の官幣にあづかる。貞観元年正月二十七日正一位の神階を授けられた神徳崇高な神社である。
神社下の吉野川潮生淵に毎年六月三十日に海水が湧き出るとの伝えがあり、国中地方から当社に参詣し、この淵で禊をする大汝詣りが今日も続いている。
境内神社  若宮神社     祭神  事代主神
                水神社      祭神  岡象女神
                金比羅神社   祭神  金山彦神
                稲荷神社     祭神  稲蒼神
     -神社案内板より-

上市の東、旧伊勢街道と旧東熊野街道の分岐点にそそり立つ妹山(260メートル)に鎮座する。上市の集落から望む妹山の山容は、文字通りの円錐形で、古来神体山と仰いだ古い原始的民俗信仰に由来するこの山を忌山と呼ばれて樹叢へ斧を入れない禁忌的信仰は今もなお生き続いている。
 『延喜式』神名帳の名神大社大名持神社に比定される当社祭神は、大名持命・須勢理比咩命・少彦名命。少彦名命は『万葉集』巻七の「大穴道少御神のつくらしし、妹背の山を見らくしよしも」にちなんで後世に合祀されたものといい、また脊山の神でないかとの説もある。『大和志』は、御所市朝町宮山の大穴持神社は、三輪明神と称し、霊畤はただ拝殿と鳥居のみで宮屋(神殿)を設けてないのは故実によるためだと、紳殿のないことが古代祭祀の本姿としているが、これは古い時代の当社の祭祀形態であったに違いない。
 『延喜式』の名神祭の条に「大名持御魂神社一座」とあって285座の中に列しているし、すでに『三代実録』の貞観元年(859)正月二十七日の条に大和国従一位大己貴神に正一位を授くとあるが、この時期で正一位の極位を受けているのは大和国内では外に春日大社のみで、その理由は明らかにし難いが、この神への信仰の篤さを示すものである。
 当社の信仰は、妹山だけでなく、社前の吉野川ともかかわっていたことは『大和志』に、社前の潮生淵は毎年六月晦潮水が涌くと伝えているが、潮生淵の聖域である。近年まで磯城・桜井・香久山地方の民間信仰行事として、氏神祭前に宮講当屋の人が大汝詣でをしてこの神域で六根清浄の水浴をし、ここの清水を汲み親指大の細長い石を拾い帰って宮座祭を行う風があった。
 今の社務所の場所に元、神宮寺があり、大海寺といったが、経蔵も今の社宅の背後にあったが、明治初年廃された。神宮寺の本地仏十二社権現像はじめ仏具汁物は、河原屋の仏国寺に移され、正平十四年(1359)南朝方の僧雲祥一筆書の大般若経600巻は、今川上村東川運川寺に移されている。
 古来当社は竜門郷二十一カ村の郷社で十月十七日例祭。かっての集会祭には氏子総代二十一人が参拝祭典の後、年間の郷内諸事を協議した。妹山樹叢は天然記念物に指定されているが、山中に腐植土が約50センチも堆積し、暖地性植物はじめ珍稀な植物が自生している。
     -奈良県史(神社)より-


神社全景

吉野川沿いの国道169号線の横に鎮座駐車場が左側にあります。

社殿

拝殿・本殿

境内社

本殿

境内奥から
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