丹生都比売神社
にうつひめじんじゃ

旧社格 官幣大社・式内名神大社
世界文化遺産
所在地
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230番地

御祭神 主祭神 丹生都比賣大神(にうつひめのおおかみ)(丹生明神) 第一殿
高野御子大神(たかのみこのおおかみ)(狩場明神) 第二殿
大食都比賣大神(おおげつひめのおおかみ)(気比明神) 第三殿
市杵島比賣大神(いちきしまひめのおおかみ)(厳島明神) 第四殿
摂社祭神 行勝上人(ぎょうしょうしょうにん) 若宮
末社祭神 不明 佐波神社
由 緒
四面山に囲まれた幽僻の地、海抜500mの盆地天野に約1700年前よりお祀りされている丹生津比賣神社は、通称天野社・天野大社のまで呼ばれています。
弘法大師が高野山開創と共に、特に関係深い当社は、地主神または高野一山の鎮守神として現在に至っています。天表年間の頃に出来たという「丹生大明神告門」によると、丹生津比賣大神は、天照皇大神の妹神で稚日女命(わかひるめのみこと)とも申し上げ、神代この紀伊国奄田(三谷)に御降臨され、御子高野御子大神と共に紀伊・大和地方を巡歴、終焉の聖地として天野原に上り「朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、常世の宮として鎮まり給う」と記されています。
神宮皇后への協力の功として、応神天皇より紀ノ川より南、有田川に至る広大な土地を紳領として与えられました。
弘法大師が、高野山に真言密教の道場を開くにつき高野御子大神が狩人に化身し、黒白二頭の犬にて案内した事等により丹生明神・高野明神として二社が祀られました。
鎌倉時代には、行勝上人により二位尼の援助のもと気比明神・厳島明神が勘定され四社となり現在の形ができました。その後、徳治元年(1306)に大整地が行われ社殿も現在の姿に造営され神社としての威容が整いました。しかし、明応五年(1496)大火の災害に見舞われ全社殿及び附近の寺院堂塔伽藍が消失したが、社殿内の御神体が安置されている内宮殿は搬出され難を逃れ、明応八年(1499)四月楼門が現在の二階に改造、四社殿は十余年の歳月を要して造営が完了しました。江戸時代に第一殿、明治時代に第三殿が、台風のため裏山の倒木により破損したが修復され現在に至っています。
四社殿とも一間社春日造りで日本では最大といわれ、社殿内部には内宮殿があり、その中に御神体を安置する形式も他に例のない神社として有名です。
平成十四年十二月十九日に境内が国の史跡に指定され、平成十六年七月には、世界遺産に登録されました。
     -神社略記より-


太鼓橋

駐車場からの景観

一の鳥居

太鼓橋の横に参道がこまやかな心遣いがにくい!

楼門が見えてくる

境内一望

社務所の前から


楼門からの本殿

大峰修験者の碑

大峰修験者(山伏)が大峰入山に際し,たてた碑

光明真言板碑
「光明真言曼荼羅碑」

脇ノ宿石厨子
「脇ノ宿」にあったものを明治に此処へ移す

社殿

太鼓橋からの池と駐車場

太鼓橋からの一切経蔵・宝蔵跡

太鼓橋からの楼門
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