高野山
こうやさん

真言宗総本山 金剛峯寺
世界文化遺産
所在地
和歌山県伊都郡高野町高野山

由 緒
壇上伽藍
高野一山の総門大門を通り、大門通りを東行すると北側にある一段高い地。ここに伽藍が建立され、高野山の宗教上の中心地である奥院とともに両壇とよばれる二大聖地である。壇上には南面する金堂を中心として、西に御社および拝殿の山王院、南東に六角経蔵、北西に西塔および鐘楼があり、それより東へ孔雀堂・准邸堂・御影堂が並び、金堂北西角と御影堂の間に三鈷の松がある。金堂東北方に大塔、その東の一段低い地に愛染堂・大会堂・三昧堂、金堂の南東に鐘楼・納経所、その東に不動堂が建つ。
 弘仁七年(816)嵯峨天皇から高野山を与えられた空海は伽藍の建立に着手、伽藍配置は南北中心線上に中門・金堂、その後方(北方)東西に大塔(胎蔵)・西塔(金剛)を両界に比して配した。伽藍は弟子真然の時代に一応の完成をみた。御手印縁起に付された絵図によると壇上にあたる地に大塔を中心とし南西に御影堂、西に廟堂、さらに西に高野社・丹生社・西堂・僧房が南北に並び、大塔の東側には南から鐘楼・食堂・経蔵が描かれている。文明五年(1472)の諸院家帳は壇上の建造物として金堂(二宇)・大塔・御影堂・准邸堂・灌頂院・西塔・東塔・三昧堂・西御堂・御社・三拝殿・一切経蔵・蓮華蔵院・孔雀堂・一切経蔵(二宇)・食堂・鐘楼・中門・大門・閼伽井を記す。
 度々の火災のうち主なものをあげると、正暦五年(994)七月六日大塔に落雷して御影堂を除く諸堂を炎上(高野春秋)、久安五年(1149)五月十二日にも大塔に落雷して御影堂を除く諸堂に類焼(『御室御所こやさん御参籠日記』など)、永正十八年(1521)中門・六角経蔵を除く諸堂塔炎上(『高野山焼失記』など)、寛永七年(1630)大塔に落雷して御社拝殿・六角経蔵・中門を除き焼失(高野春秋)、天保十四年(1843)御影堂・灌頂院・大塔・金堂ほかを焼失した。昭和元年(1926)には金堂・孔雀堂・六角経蔵などが焼失した。しかし、そのつど再建されて現在の姿をとどめている。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-

 
大門

高野山の西端にあり、全体の総門。
楼門造の五間三門開き、高さ25.22m、間口21.45m、奥行き8m国重要文化財

金剛力士像

浪速の仏師法橋運長の作(続風土記)

金剛力士像

大会堂

東塔

後方には、根本大塔が見えています。
間に大会堂
 
根本大塔

大きさと朱の鮮やかさに圧倒されます。

不動堂

御影堂

御影堂

孔雀堂・准胝堂

西塔

金堂


孔雀堂・御影堂・東塔堂塔が直線的に並んでいる。

六時の鐘

遍照光院

苅萱堂前の寺院

苅萱堂

奥の院入口

墓所には大小の五輪塔が所狭しと並んでいる。

上杉謙信廟

結城秀康(家康の次男)の石廟

御廟橋前

弘法大師御廟

御廟橋からの風景
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