在原神社
ありわらじんじゃ

旧社格 無格社
所在地
奈良県天理市櫟本町3916

御祭神 阿保親王 (あぼしんのう)
在原業平 (ありわらなりひら)
由 緒
 在原寺跡と在原神社
在原寺は、平安時代のはじめ、平城天皇の御子、阿保親王が承和二年(835)に創建されたという 説と、寛文寺社記の元慶四年(880)草創とがある。平安時代の始め(九世紀)からここに在原寺があったことを物語っている。明治初年までは本堂、庫裏、楼門などがあったが、本堂は大和郡山市若槻の西融寺に移されて廃寺となって阿保親王と在原業平父子をまつる在原神社がのこっている。
社殿は大正九年に修理改築され一間社、数寄母屋造り、正面千鳥破風、及び一間向拝付きという 変わったもので、もとは紀州候寄進の立派なものであったといわれている。
在五中将在原業平はわが国随一の歌人で、また容姿秀麗であったといわれる。業平の作という伊勢物語にのせられた歌物語の『筒井筒井筒に掛けし麿が丈生ひにけらしな相見ざる間に』の歌や、謡曲の井筒にちなんだ筒井筒、もをと竹、一むら薄など、今は石標とともにその名残をとどめている。
     天理市教育委員会

謡曲『井筒』と在原寺
在原業平は平城帝(第五一代)の皇子阿保親王の五男で、兄の行平と共に在原姓を名のって臣籍に入り右近衛中将となり歌人としても知られています。女性遍歴も多彩で「伊勢物語」のヒーローとされています。
その業平と、昔契った井筒の女(実は紀有常の娘)が現われ、業平との在りし日の交情を物語るのが謡曲「井筒」です。
謡曲の舞台となっている”大和国石上の在原寺の旧跡”が当所だといわれ、曲にゆかりの深い井筒の井の跡もかすかに残っています。
曲名の井筒は井戸の地上の部分を木や石で囲んだもののことで、本来は円形ですが方形のものもあります。紀有常の娘が幼時、背丈をこの井筒で業平と計りあったといわれます。
     謡曲史跡保存会
    -境内の案内板より-


在原寺の社標

境内の奥に在原神社の社殿があります

境内

左端に見えているのが井筒の井戸

本殿


夫婦竹

謡曲『井筒』と在原寺の立札

右は案内標識

芭蕉句碑

うくひすを魂に眠るか矯柳
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