和爾坐赤坂比古神社
わににいますあかさかひこじんじゃ

旧社格 村社・式内大社 
所在地
奈良県天理市和爾町1194

御祭神 主祭神 阿田賀田須命 (あだかたすのみこと)
市杵島比賣命 (いちきしまひめのみこと)
末社祭神 天兒屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
品陀別命 (ほんだわけのみこと) 八幡神社
由 緒
櫟本の集落を西南に望む標高約90メートルの台地に鎮座する神社で、式内大社和邇下赤坂神社にあてられている。祭神は現在、阿田賀須命と市杵島姫命としているが、『大和志』には「祭神赤坂比古命、何神ナルカヲ知らず、蓋し和邇氏の租紳ならし」といっている。『日本書紀』の孝昭記に、和珥氏の始祖として皇子天足国押人の名が見え、『古事記』には、天皇の兄の天押帯日子命を、春日・大宅・桑田・小野・柿本・壱比葦の各臣などワニ系16氏の始祖としている。この地方を本貫に、北は春日山西麓一帯に移住した古代の有力な氏族であった。  創始は、明らかでないが、すでに天平二年(730)の『大倭国正税帳』(正倉院文書)に、「丸神戸、穀五〇斛七斗九合耗九斗九升四合、定四十九斛七斗一升五合替、(以下略)」などがあり、『新抄格勅符抄』所収の大同元年(806)牒にも、「和邇神四戸大和」とあるが、古くから名ある神社であることが分かる。『三代実録』には貞観元年正月二十七日の条に当社の神を従五位下から、従五位上に神階を進められている。  『大和志』に「今天王と称す、域内に常楽寺あり。上梁文に曰、天正六年(1578)重修】とある。神宮寺として常楽寺があったが、明治初年廃寺となり、仏像その他は隣接する浄土宗善福寺に移された。当社社務所に「天正十四年(1586) 諸願成就 奉懸牛頭天王 皆令満足岩鶴敬白 九月八日」との墨書銘のある銅板製懸仏のほか、元和六年(1620)銘の懸仏がある。なお境内には、横穴式石室の円墳がある。
     -奈良県史(神社)より-


神社入口

鳥居と社標

拝殿

本殿

左右に春日社と八幡社

拝殿内の御祭神札

櫟本高塚公園

鬼子母神社

櫟本高塚公園

案内板

櫟本高塚公園から郡山方面
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