鏡作伊多神社(宮古)
かがみつくりいたじんじゃ(みやこ)

旧社格 村社・式内社
所在地
奈良県磯城郡田原本町宮古字補屋60

御祭神 主祭神 石凝姥命 (いしこりどめのみこと)
末社祭神 表筒男命 (うわつつおのみこと) 住吉神社
中筒男命 (なかつつおのみこと)
底筒男命 (そこつつおのみこと)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
保食神 (うけもちのかみ) 稲荷神社
由 緒
当社鎮座地に二説あり、Aは田原本町保津字南垣内150、 Bは同町宮古字補屋60鎮座の神社で、A社は近鉄田原本駅の西約1キロメートルの位置にB社は保津のA社から北北東に当って程近い宮古集落の東南端の社である。二社の中いずれかが『延喜式』神名帳の鏡作伊多神社に比定すべきか定め難い。
A社について「大和志」には「在(ニ)穂津村(一) 社ノ傍有(ニ)小池(一)名鏡作 式載在(ニ)城下郡(一)」とあるが『延喜式』神名帳作成当時は城下郡と呼んでいた当地は江戸中期の「大和志」編集当時は十市郡と呼んでいたことになる。例祭は十月十三日。
B社は古来城下郡に属して補屋明神と称し、祠の東北に沿ってある池の字名を伊多の坪という。享保(1716-36)まで田地であったのを池にしたという。例祭は十月十三日。保津と宮古の社は南と北に道を距てた両大字に鎮座しているが、往古は両地共鏡鋳造の作業をする氏族の住地であったと考えられる。
社伝によると、両社祭神の石許利止売命(石凝姥命)は鏡の材料を板状に引き伸ばし鍛えられるのに力の強かった神だったという。この付近の鏡作部の氏族が信仰した神の社が両社であったと考えられるが創建年代など明らかでない。
     -奈良県史(神社)より-


神社入口より

境内

鳥居部からの境内

境内

拝殿と本殿

同じ鏡作伊多神社がすぐそばの保津の集落にも鎮座している。平成4年に改修されていて拝殿本殿共にきれいです。


西側参道


拝殿

全面格子戸で奥の本殿が見えます。

稲荷社
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