若桜神社 わかざくらじんじゃ | |||
旧社格 指定村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県桜井市谷字西浦344 | ||
御祭神 | 主祭神 | 伊波我加利命 (いわがかりのみこと) 東殿 | |
大彦命 (おおひこのみこと) 西殿(高屋安倍神社) | |||
末社祭神 | 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) | 厳島神社 | |
菅原道真 (すがわらみちざね) | 天満神社 | ||
素盞鳴命 (すさのおのみこと) | 八坂神社 | ||
武内宿禰 (たけのうちのすくね) | 高霊神社 | ||
由 緒 |
桜井市街地南側、近鉄桜井駅から真南に臨む社叢まで約550メートルの地に鎮座する。祭神は伊波我牟都加利命 の後裔で若桜朝臣の祖伊波我加利命 。『大和志』には「在桜井谷邑 今称白山権現」とあり『延喜式』神名帳城上郡の若桜神社に比定されるが、大字池ノ内(旧安部村)の稚桜神社とする説もある。本殿内に大正(1912-26)ごろまで当社東の小祠として祀られていた神武天皇を祭神とする多神社を合祀している。境内の東と西に、小字堂の前、北に堂の浦の地名があり、かって神宮寺があったことを思わせる。鎮座地は前方後円墳の後円部丘上南斜面で、周囲の南と西に環濠を思わせる凹部をめぐらしている。 例祭は十月十七日。 -奈良県史(神社)より- 境内に『延喜式』神名帳に登載の名神大社の『高屋安部神社』が鎮座する。 高屋安倍神社 JR桜井線桜井駅の南約600メートルの式内若桜神社境内に鎮座する。元はこの南方400メートルの字松本山に鎮座した『延喜式』神名帳に登載の名神大社で、今は若桜神社本殿の向って左側の境内社である。祭神は三柱で大彦命『姓氏禄』によると、孝元天皇の皇子で布施朝臣、安倍朝臣の租紳とある。他の二柱神は詳かでない(特選神名帳)。元の鎮座地が流出したのでここに遷座したがその時期は明らかでない。 『文徳実録』に「天安元年(857)八月庚申従五位下より従五位上に昇進し、翌二年四月戌申に従四位下を授けられている。『日本紀略』には天慶三年(940)九月四日丙寅従三位にのぼったと記されている。名神大社として崇敬されてきたがその後は歴史上消息を絶っている。旧鎮座地の松本山東方は字狐山で、南側は字草墓になるが七世紀前半阿部氏関係の墳墓とみられる。阿部氏の祖先を祭った神社と、同じく葬った墳墓の先後関係は不明であるが、平安中期以前聖なる地として崇められていた地である(式内社調査報告 松本俊吉氏稿)。例祭は十月十五日。 -奈良県史(神社)より- | ||
鳥居(神社入口) | |||
復元された若桜の井戸 鳥居を入ってすぐ右側にありました。 | |||
境内の案内板 高屋安倍神社の大彦命が境内社から西殿に遷座されている。 大彦命は孝元天皇の第一子 第二子が開花天皇 最近発掘調査されて話題になった桜井市の外山茶臼山古墳の埋葬者は大彦命との説もある。 | |||
社殿 拝殿と本殿 本殿が瑞垣でみることができない | |||
拝殿 | |||
狛犬 | |||
左側の石碑には平成五年八月八日 高屋安倍神社 御祭神の大彦命御分霊を越前□鯖江市松阜神社に奉持して 奉祝 鐵齋の 古き墨付 かみことは 高屋安倍神社 大彦□神 畤人 | |||
金比羅大権現 | |||
若桜神社の北側の高台にある土舞台 | |||
土舞台 聖徳太子が舞踊をしたと伝えられているところです。若櫻神社のそばにあります 。芸能の発祥の地として、著名な芸能人が、ここを訪れたようです。 |