談山神社
たんざんじんじゃ

旧社格 別格官幣社・国史見在社
所在地
奈良県桜井市多武峰319

御祭神 主祭神 藤原鎌足公 (ふじわらかまたりこう)
摂社祭神 藤原不比等鏡女王 (ふじわらふひとかがみのおおきみ) 東殿
末社祭神 天紳・地祇八百万神 (てんしん・ちぎやおよろずのかみ) 惣社
大山祇命 (おおやまつみのみこと) 比叡神社
久久能智命 (くくのちのみこと) 山神社
大山津見神 (おおやまつみのみこと) 山神神社
宇賀御魂命 (うかのみたまのみこと) 稲荷神社
誉田別命 (ほんだわけのみこと) 八幡神社
菅原道真 (すがわらみちざね) 菅原神社
宇賀魂命 (うかのみたまのみこと) 宇賀魂神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社
春日四柱神 (かすがしはしらのかみ) 春日神社
火産霊神 (ほむすびのかみ) 竈神社
由 緒
多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために、延長四年(926)に天神地祇・八百万神を奉斎し、鎌足神像を合祀した総社が建立され、談峰権現の賜号を受けたことに始まり、後花園上皇の時には談山大明神の神号を得、正一位勲一等に叙せられたという。多武峯山内では仏教的信仰と神道的信仰とが混在していたが、江戸時代には神道勢力が強まり、明治維新後の神仏分離に際して仏教色を除き、明治二年(1869)六月三十日の大祓の日を持って談山神社となり、多武峯寺の諸堂宇のうち聖霊院を神社本殿、御国院を拝殿とし、十三重塔婆は紳廟とよばれ、講堂がその拝所となった。また常行三味堂を権殿、護摩堂を祓殿、妙法堂を摂社東殿とした。
     -寺院神社大辞典より-


十三重塔と権殿(重要文化財)

大化の改新のとき、中大兄皇子と中臣鎌足が談合をした談い山(多武峰)に鎌足公の墓を作り十三重塔を建立した白鳳七年(678)創建の鎌田履行供養塔。唐の清涼山宝池院にあった十三層の塔を模したと伝えられ、現存唯一の木造十三重塔。権殿
天禄元年(970)に藤原伊尹の立願により創建したもとの常行堂。現在は本殿修理の折、御紳像を仮に安置する神殿。

楼門(重要文化財)

権殿からの十三重塔

総社本殿(重要文化財)

総社拝殿(重要文化財)

八百萬神と共に、大和七福神の福禄壽神をお祭するわが国最古の総社で、延長四年(926)の創建。本殿は旧本社本殿を移築。壁面に狩野永納の絵が見られる。

総社本殿(重要文化財)

神廟拝所

左の広場が「蹴鞠の庭」で古式ゆかしい蹴鞠が行われるところです

石灯篭横の手水石鉢

石灯篭(重要文化財)
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