宇奈多理坐高御魂神社
うなたりにいますたかみむすびじんじゃ

旧社格 指定村社・式内大社
所在地
奈良県奈良市法華寺町600

御祭神 主祭神 高御魂尊 (たかみむすびのみこと)
天太玉命 (あめのふとたまのみこと)
思兼命 (おもいかねのみこと)
末社祭神 猿田彦命 (さるたひこのみこと) 猿田彦神社
手力男命 (たじからおのみこと) 手力男神社
大宮媛命 (おおみやひめのみこと) 大宮媛神社
天鈿女命 (あめのうずめのみこと) 天鈿女神社
豊岩窓命 (とよいわまどのみこと) 豊岩窓神社
由 緒
『大和志』に宇奈多理坐高御魂神社法華寺村にあり、今楊梅天神と称すとあり、式内大社の当社にあてられているが、横井町あたりに鎮座の社が当社だとの説もある。古来法華寺鎮守としてその管轄化にあったが、明治の神仏分離で紳域内の本地仏十一面観音は法華寺に移され、神社は地元村で祀られることになった。祭神は高皇産霊神・太玉神・思兼神。流造三間社本殿は室町初期の建築で、重要文化財。『日本書紀』持統天皇の六年(692)十二月二十四日太夫等を遣わして、新羅の調を大倭菟名足外四社に奉ったとあり、『三代実録』貞観元年(859)四月の条に「従四位下法花寺坐神従四位上」とある外、「延喜」の制では大社として月次・相嘗・新嘗と出ている。
延宝九年(1681)の『和州旧跡幽考』の項に「法華寺西南辺に楊梅の天神という社あり。此のほとりにや。楊梅の宮をたてて天皇うつり給ふて後、五位以上を宴し給ふよし、くわしくは『続日本紀』にあり」と、光仁天皇の宝亀四年(773)二月完成したという楊梅宮は天神社のほとりではないかといっている。「楊梅」を転じて「桜梅」となったとみられ当社を桜梅天神ともいう。
-奈良県史(神社)より-


神社入口

平城京東院庭園から法華寺への道の途中、東院庭園の北側に鎮座。

社殿全景

本殿

国重要文化財

社殿

境内社も左右に並ぶ

天鈿女神社
猿田彦神社
手力男神社
大宮姫神社
豊岩窓神社
社殿
社殿
本殿
本殿と境内社
境内社
境内社

豊岩窓神社(左側)
大宮媛神社(右側)
境内社
境内社

天鈿女神社(左側)
手力男神社・猿田彦神社
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