菅原天満宮
すがわらてんまんぐう

旧社格 指定村社・式内社
所在地
奈良県奈良市菅原町518(喜光寺の北東門前)

御祭神 主祭神 天穂日命 (あめのほひのみこと)
野見宿禰 (のみのすくね)
菅原道真 (すがわらみちざね)
末社祭神 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社
渡会春彦 (わたらいはるひこ) 春彦神社
豊宇気姫 (とようきひめ) 稲荷神社
由 緒
西大寺と垂仁天皇菅原伏見東陵の間に鎮座。「延喜式」神名帳の添下郡の『菅原神社』とされる。旧村社。祭神は天穂日命・野見宿禰・菅原道真。天穂日命は「日本書紀」神代巻に「是出雲臣・土師連等が祖なり」とみえるように、喪葬や土器製作に従事した土師氏の祖紳である。垂仁天皇皇后日葉酢媛の死去の際、殉死に代わって埴輪を陵墓に立てることを進言した野見宿禰が功賞を受けて土部臣の姓を賜り、土部連などの始祖となったという説話をもつ土師氏(日本書紀)は、「菅家御伝記」に「爾来土師氏万葉居菅原伏見邑」とみえるように、当社付近にも住し、のち居地にちなんで菅原・秋篠などに改姓した。当地から良質の埴土が採れ赤膚焼の窯にも近い。当社はこのような土器製作者集団が祀ったものと考えられ、北大和から南山城に及ぶ現在の当社信仰圏と、古代の土師氏の分布がほぼ一致し、かっては山城国相楽郡吐師村(現京都府木津町)からも参拝していた。「和州旧跡幽考」に「菅原天神。菅原院は天神の御所是なり。しか書ぬれども、菅丞相はみやこうつしのはるか後に平安城にして出給ひしなり。只このやしろは天神にして聖廟にあらすと或説にあり」とあるように、当社はいつの頃からか菅原道真の居所といわれるようになり、当社の東100メートルには道真生誕の地と伝える池がある。「大和志」も「今称天神」と記し、現在でも「菅原の天神さん」と呼ばれている。社伝によると、文亀年間(1501-04)には兵火、元禄年間(1688-1704)火災にかかり、一条院宮真敬法親王の命で寛保年間(1741-44)に再建されたというが、現社殿は菅公千年祭を祈念して修復したものである。例祭は十月十日。二月十五日には御田植祭が行われる。社宝に室町時代の絹本着色渡宋天神像があり、賛は京都東福寺・南禅寺に歴住した愚極礼才の筆。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


神社入り口

拝殿

本殿

境内末社

春彦神社
稲荷神社
市杵島神社

境内末社
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