新薬師寺
しんやくしじ

日輪山
華厳宗
所在地
奈良県奈良市高畑町1352

御本尊 薬師如来座像(国宝)
由 緒
新薬師寺は聖武天皇病気平癒祈願の為、天平十九年(747)勅願により光明皇后によって建立され、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味であります。
当時東大寺と共に南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍をならべ住する僧一千人と記録にあります。三十三年後の宝亀十一年西塔に落雷、瞬時にして炎上、現本堂のみが焼け残ったわけです。当時所蔵の重宝は建築、彫刻、絵画、工芸など各部門にわたって居り、時代も奈良時代より江戸時代に及んでいます。
-拝観のしおりより-


南門(重要文化財)
(鎌倉時代)

基壇は乱石積であって、その上にしっかりと大きい面取りのある四本の柱が立つ所謂る四脚門である。

本堂(国宝)
(奈良時代)

創建当所は食堂であったと思われる。二重基壇の上にしっかりと建ったその安定感、悠揚と青空に伸びる大棟の線、太い柱と共に奈良朝入母屋建築の生粋である。内陣は化粧屋根裏、その合掌は簡素で力強く、我が国最大のものである。

観音堂(元地蔵堂)
(鎌倉時代・重要文化財)

方一間の小さな仏堂建築として、当期を代表するものである。間斗束の位置にある蟇股は、その線功妙優美で鎌倉期の秀逸である。
堂内には右側に薬師如来(室町時代)、左側に地蔵菩薩(室町時代)、中央に十一面観音菩薩(室町時代)、いずれも木造が安置され、特に左側の地蔵菩薩は庶民の安産の仏として信仰されていたようである。

鐘楼
(鎌倉時代・重要文化財)

弘安二年(1279)の棟札があり、袴腰は漆喰塗りの珍しい作例である。中の梵鐘(重要文化財)は天平時代の貴重なもので日本霊異記にある道場法師鬼退治の釣鐘として名高い。

石仏
inserted by FC2 system