十輪院
じゅうりんいん

山号 雨宝山
真言宗醍醐派
所在地
奈良県奈良市十輪院町27

御本尊 石造地蔵菩薩
由 緒
十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。寺伝によりますと、当山は元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院と言われます。また、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養の開其とも伝えられています。
沿革の詳細は明らかでありませんが、鎌倉時代、無住法師の『抄石集』(1283)では本尊の石造地蔵菩薩を『霊験あらたかなる地蔵』として取り上げています。室町時代の末期までは寺領三百石、境内は約一万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝が失われました。しかし江戸時代の初期には徳川家の庇護を受け、寺領五十石を賜り、諸堂の修理がなされました。明治時代の廃仏毀釈でも大きな打撃を受けましたが、現在、当山の初期の様子を伝えるものとして、本尊の石仏龕、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造の経蔵(国所有)などが残っています。近年、昭和28年本堂の解体修理から、平成8年防災施設の完成により、諸堂宇が整備され、境内は寺観を整えることができました。
-拝観のしおりより-


本堂(国宝)
(鎌倉時代前期)

後方の石仏龕を拝むための礼堂として建立されました。正面に一間通りの広縁を設け、垂木を用いず、厚板と特異な組物で軒を支えています。こじんまりした内部は一本の柱を外陣・内陣に使い分け、低い天井は簡素な棹縁天井となっています。蔀戸が用いられ、軒及び床を低くおさえ、屋根の反りを少なくするなど、当時の住宅をしのばせる要素が随所に見られます。蟇股や木鼻、正面の柱などは創建当時のものです。

境内

十三重石塔
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