宇良神社 うらじんじゃ | |||
浦島太郎伝説 旧社格 郷社 | |||
所在地 | 京都府与謝郡伊根町本庄浜191 | ||
御祭神 | 主祭神 | 浦嶋子 (うらしまこ) (浦島太郎) | |
相祭神 | 月讀命 (つきよみのみこと) | ||
祓戸大神 (はらえのおおかみ) | |||
末社祭神 | 天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) | 天照皇大神社(本社に合祀) | |
市杵嶋姫神 (いちきしまひめのかみ) | 市杵嶋姫神社(本社に合祀) | ||
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | 八幡神社(本社に合祀) | ||
弁財天神 (べんざいてんのかみ) | 弁財天神社 | ||
稲荷大神 (いなりおおかみ) | 稲荷神社 | ||
由 緒 | 浦嶋神社は延喜式神名帳所載によると、「宇良神社(うらのかみやしろ)」と記されている。創祀年代は淳和天皇の天長二年(825)浦嶋子を筒川大明神として祀る。浦嶋子は日下部首等の祖先に当たり、開化天皇の後裔氏族である。その太祖は月讀命の子孫で当地の領主である。浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(478)七月七日に美婦に誘われ常世の国に行き、三百有余年を経て五十三代淳和天皇 天長二年(8259に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で淳和天皇はこの話を聞き浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁を勅使とし宮殿を御造営された。この神社に伝わる浦嶋物語は起原が最も古く、 八世紀初期にできた丹後風土記更に日本書紀万葉集などに記載されている。又、古代より崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。 浦嶋子縁の地名 水乃江里・筒川・曽布谷・今田・雲龍山・布引滝・龍穴・白鷺崎・かんこ川・舟繁岩 御紳徳 縁結神・長寿神・農業神・漁業神・航海神・牛馬神・養蚕神 御祭日 祈年祭・延年祭三月十六日夕宵宮・十七日午前九時より 例大祭 八月六日宵宮・七日 午前九時より 御宝物 浦嶋明神絵巻(重文) 玉手箱(玉櫛筍) 乙姫小袖(重文)他 --境内案内板より- | ||
駐車場の案内板 | |||
参道横のモニュメント (浦島太郎と乙姫) | |||
参道からの社殿 | |||
手水舎 金属製の手水鉢 浦嶋社の浮彫りが見える。 | |||
拝殿 | |||
狛犬 | |||
北前船 | |||
拝殿と本殿 | |||
拝殿に奉納されている亀 | |||
本殿 | |||
本殿隅の井戸の様なもの説明も何もないので、わかりませんが、本殿の角部で不思議なものです。 | |||
本殿 神明造の立派な本殿 | |||
境内末社 稲荷神社 | |||
境内の蔵 此処に宝物が保存されていたと思われます。 現在は、別に宝物資料舘が造られて保存されています。 連絡無しで訪問したため、宝物を見ることができませんでした。連絡をしての参拝を進めます。 TEL 0772-33-0721 | |||
蓬山(とこよ)の庭 嶋子が神女(おとめ)に誘われて水乃江里より海の彼方の蓬山に渡る物語を、丹後国風土記逸文は次のように記している。「その地は玉を敷けるが如く、闋壹(みかど)奄映(きらきら)しく樓壹玲瓏(たかどのかがや)けり目にも見ざりし所 耳にも聞かざりし所なり」云々これは「とこよ」の有様を記したものだが、その他に「蓬山」「神仙」「仙都」と書いて「とこよ」と読ませ、日本書紀、浦嶋伝記では、「蓬莱山」を「とこよ」、万葉集では「常世」を「とこよ」としている。これは、古代中国の神仙思想の影響を強く受けたものであり、この庭はこれら文献及び浦嶋明神絵巻(重文)にもとづいてつくられた。 浦嶋神社 社務所 |