竹野神社
たかのじんじゃ
所在地
京都府京丹後市丹後町宮245

御祭神 主祭神 天照大神 (あまてらすおおみかみ)
摂社祭神 建豊波豆羅和気命 (たけとよはつらわけのみこと) 斎宮神社
竹野姫命 (たかのひめのみこと)
日子坐王命 (ひこますきみのみこと)
末社祭神 宇賀能魂命 (うかのみたまのみこと) 矢崎神社
稚産霊神 (わかむすびのかみ)
保食神 (うけもちのかみ)
宇賀能魂命 (うかのみたまのみこと) 稲荷神社
火産霊神 (ほむすびのかみ) 愛宕神社
櫛磐間戸命 (くしいわまどのみこと) 門斎神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 伊豆神社 (社司桜井氏の祖)
野槌命 (のづちのみこと) 野々宮神社
由 緒
御由緒
 竹野神社は、『延喜式』の神名帳によると竹野郡「竹野神社大」と記され、竹野郡中唯一の大社の社格を誇っています。祭神は、天照大神であり、本殿と並んで境内摂社斎宮(いつきのみや)神社があり、こちらは、祭神として、日子坐王命・建豊波豆羅和気命・竹野媛命を祀っています。竹野媛は、丹波大県主由碁理(たにわのおおあがたぬしゆごり)の娘で、第九代開化天皇のお妃となり、年老いて郷里に帰り天照大神を奉祀したのに始まると伝えられます。丹波大県主由碁理・竹野媛は『古事記』・『日本書紀』にも記され、古事記の開化天皇の条には「若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)[開化天皇]、春日の伊邪河宮(いざかわのみや)に坐しまして、天の下治らしめしき。此の天皇、丹波の大県主、名は由碁理の女、竹野比売を娶して、生みませる御子、比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)」と書かれています。また、斎宮神社には、第三十一代用明天皇の第三皇子 麻呂子親王も祀られています。社記によれば、「推古天皇の御宇、加佐郡三上の岳に鱏古、軽足、土車という三人のもの多く凶徒を集め人民を害す。於是(ここにおいて)、天皇麻呂子皇子に命じて是を征伐せしむ。其の弟塩干、松枝の二皇子と同じく三上ヶ岳に向かう、三上ヶ岳の凶徒遁れて竹野郡に走る、麻呂子皇子これを遂ふて遂に尽く殺す。蓋海賊なり。俗に鬼と称す。国人これが為に窘らるる年久し。よって麻呂子親王を北狄守護神と崇め奉る。今斎大明神という。」と記され麻呂子親王は、北狄守護神として崇められこの社に祀られています。この麻呂子親王の鬼賊退治と丹後七仏薬師の由来は、斎明神縁起などの絵巻としても竹野神社に残され伝えられています。  室町時代には武将の保護厚く、江戸時代も宮津・出石藩主並びに久美浜代官等の崇信を受けていました。漁業者の信仰も厚く丹後の明神といって信仰されており、隠岐国からは紳馬も奉納されています。  このように悠久の歴史と由緒を持つ当社は、丹後一円はもとより多くの人々に崇敬されています。
     -神社のしおりより-

神社入口
神社入口

入り口左右に『斎宮神社』と「竹野神社」の社標が立っている。見えているのは三の鳥居
国道からの参道
国道からの参道

松並木の参道がまっすぐに伸びている。
二の鳥居
二の鳥居

左側には、古代の里資料館があり中には京丹後市の古代からの遺物及び発掘調査結果などが展示されています。
厳島神社
入り口右側の厳島神社
三の鳥居
三の鳥居

社務所が左側にあります
狛犬狛犬
狛犬
狛犬(2)狛犬(2)
狛犬
中門
中門
(京都府指定文化財)
中門
中門の屋根
中門の扁額
中門の扁額
扁額

なぜか『斎宮神社』の扁額
拝殿
拝殿
本殿
本殿

現在の社殿は、文政13年(1830)に再建されたものです。本殿は規模の大きな一間社流造で、身舎正面には双折れ桟唐戸を建て、側面は二間つくっています。総体に装飾が抑制された簡素な建物となっています。
京都府登録文化財
本殿の正面
本殿正面の飾り
本殿の屋根
本殿の屋根
斎宮神社
摂社 斎宮神社(京都府登録文化財)

摂社斎宮神社本殿は、本殿とは対照的な小振りな一間社流造でありますが賑やかな装飾をもっています。向拝頭貫端は象鼻、繋紅梁端は獅子頭とし、頭貫の渦巻きも太く奔放に彫られています。
中門は神社の門としては珍しい向唐門で、左右に桟敷舎と神輿庫を併設しています。唐破風の曲線は円に近いもので、全体に派手な印象を与えるつくりです。
斎宮神社の飾り
斎宮神社

社殿の彫刻飾り
一の鳥居
一の鳥居

神社入口まで南東方向に約540メートルほとんどまっすぐな参道が続きます。

手前右側に矢崎神社が鎮座しています。
門斎神社
末社 門斎神社
稲荷・伊豆神社
末社

伊豆神社・稲荷神社
矢崎神社
末社 矢崎神社

一の鳥居横に鎮座
紳饌所
紳饌所

本殿の左側で、塀の一部を兼ねている。
境内の配置図
境内の社殿配置図

inserted by FC2 system