籠神社
このじんじゃ
所在地
京都府宮津市大垣430

御祭神 主祭神 天照國照彦火明命 (あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
相祭神 豊受大神 (とようけのおおかみ)
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
海神 (わたつみのかみ)
天水分神 (あめのみくまりのかみ)
摂社祭神 彦火火出見命 (ひこほほでみのみこと) 恵比須神社
倭宿禰命 (やまとすくねのみこと)
天照大神和魂 (あまてらすおおみかみのにぎみたま) 天照大神和魂社
豊受比賣大神 (とようけひめのおおみかみ) 真名井稲荷神社
保食大神 (うけもちのおおみかみ)
宇迦御魂大神 (うかのみたまのおおみかみ)
末社祭神 武甕槌命 (たけみかづちのみこと) 春日大明神社
経津主命 (ふつぬしのみこと)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
比賣神 (ひめかみ)
猿田彦大神 (さるたひこのおおみかみ) 猿田彦神社
由 緒
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮眞名井原に豊受大神をお祭してきましたが、その宿縁によって人皇十代崇神天皇の御代に天照皇大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を輿謝宮(よさのみや){吉佐宮}と申して豊受大神と一緒にお祭り致しました。その後天照皇大神は十一代垂仁天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って当社は元伊勢と云われております。
両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の崇敬を集めてきました。


神社入口

国道178号線に面している左側は、駐車場で広いスペースでバスでの参拝も多いようです。天橋立の股覗きの笠松公園は、神社の左側です。

紳門

この門の前に重要文化財の狛犬があります

拝殿

朝のお勤め

本殿

社殿の様式は伊勢神宮と同じ唯一神明造で、古式の心御柱(しんのみはしら)や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)の座玉(すえたま)は伊勢神宮御正殿と當宮以外には拝されないもので、神社建築として最古の様式と高い格式を表わしています。
皆さまが観光コースで先ず参拝される社殿は内宮様式で、千木は内そぎで一番奥の本殿の勝男木は十本であります。

恵美須神社(摂社)

御祭神
彦火火出見命
(ひこほほでみのみこと)
倭宿禰命
(やまとすくねのみこと)

由緒           
大化以前の籠宮の元宮であり、主祭神であったと伝えられる
御紳徳
商売繁盛
大願成就
大漁満足
海上安全

五色の基玉(すえたま)

本殿の高欄上に配されている。

狛犬 (重要文化財)
この狛犬は日本様式化された狛犬の傑作と云われ、他社の狛犬の形と全く違い、頭は小さく胴体と脚が大きく、どっしりと安定しており、然もその姿勢は静と動を同時に表現していのちあるもののように、ア・ウンの見事な調和をみせています。
鎌倉時代の名作として重要文化財に指定されていますが、その昔作者の魂が狛犬にこもり、石の狛犬が天橋立にあばれ出て通行の人を驚かしたので、たまたま仇討に来ていた豪傑岩見重太郎が一夜待ち伏せ、剛刀で狛犬の脚を切ったところ、それ以来社頭に還り、魔除けの狛犬と云われて霊験があらたかになったと伝えられています。

境内の摂社・末社

倭宿禰命
別名・珍(うづ)彦・椎根津彦・神知津彦
籠宮主祭神天孫彦火明命第四代海部宮司家四代目の祖
神武東遷の途次、明石海峡(速吸門{はやすいなど})に亀に乗って現われ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰の称号を賜る。外に大倭国造、倭直とも云う。大倭(おおやまと・だいわ)の字音は、後の大和の(やまと)の国号に深い関係があると云われる。亀に乗ったお姿は応神朝の海部の賜姓以前、海人族(あまぞく)の始原の一面を語り、又海氏(あまうじ)と天系との同一出自をも示唆するようである。
御紳徳
人生先導・事業成就・健康長寿・平和招来・海上守護
元伊勢    籠(この)神社
八十二代宮司  海部光彦
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