醍醐寺
だいごじ

真言宗醍醐派 総本山
山号 深雪山
(世界文化遺産)
所在地
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22

御本尊 薬師如来坐像
由 緒
真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる理源太師・聖宝は貞観16(874)年、醍醐山上に草庵を結び、准胝・如意輪の両観音像を彫刻し、堂宇に安置した。これが醍醐寺の始まりである。
開創後、醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依によって、次々に堂塔が建立され、天歴5(951)年には五重塔が完成。山上山下にまたがる大伽藍が整った。
開山以来、醍醐寺は日本仏教史上枢要な位置を占め、伝えられたものの多くは国宝や国の重要文化財に指定されており、平成6(1994)年には世界文化遺産に登録された。
     -参拝のしおりより-


総門

三宝院

三宝院は永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正の創建。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊である。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は、寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3(1598)年豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計をした庭であり、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている。

三宝院前からの西大門

西大門

慶長10年(1605)、豊臣秀頼の再建。仁王像は平安後期の長承3年(1134)、仏師勢増・仁増の造立。通称「仁王門」といわれる。

清瀧宮本殿(せいりゅうぐう)
(重要文化財)

醍醐寺の鎮守社。永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀った。その後、この社殿の前で清龍会(桜会)が行われるようになった。直、現在の社殿は永正14年(1517)に再建されたもので、毎年4月1日から21日まで、清瀧権現桜会の様々な行事の中心となっている。

清瀧宮拝殿と五重塔
 
五重塔(国宝)

醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天歴5年(951)に完成した。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。

金堂(国宝)

醍醐天皇の御願により延長4年(9269に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが永仁、文明年間に二度焼失した。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成した。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊である。

不動堂

堂内には不動明王を中心に五体の明王を安置する。また、堂前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、世界平和など様々な祈願をおこなう。

弁天堂

紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗の弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所。弁天堂内には、音楽などの学芸や知識の女神である弁才天が祀られている。広く一般には七福神に加えられている。
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