天津石門別神社
あまついわとわけじんじゃ

旧社格 指定村社・式内社
所在地
奈良県高市郡高取町越智字大西85

御祭神 主祭神 天手力男命 (あめのたじからおのみこと)
末社祭神 大物主命 (おおものぬしのみこと) 金刀比羅神社
宇賀魂命 (うかのみたまのみこと) 稲荷神社
由 緒
越智氏居館跡の西に鎮座。旧村社。古来九頭神社と称し、「越智氏系図」に元暦二年(1185)越智家の祖親家が戦場守護神として祀ったと記し、越智党団結の契機及び城館鎮護の神とされた。明治八年(1875)奈良県示達により「延喜式」神名帳高市郡「天津石門別神社」に治定され、社名も改称されたが根拠は不明。式内天津石門別神社は天石戸別神とも書き、貞観十七年(875)三月二十九日、正五位下より従四位下に昇叙(三代実録)。式内社は近世まで所在不明で(大和志)、「五郡神社記」のみ忌部村(現奈良県橿原市)の忌部神社(式内天太玉命神社)に併祀と記す。なお「三代実録」貞観五年二月十四日条に大和国の天津石門別稚姫神を従五位下より従五位上に昇叙したとあるが、天津石門別神社との関係は不明。当社には社殿がなく、板石を楯状にめぐらした玉垣中央に神体の榊が植えられている。里俗に九頭竜明神と称し、水神として祭祀されているが、自然崇拝の古い信仰形態を残しており、もともと九頭神(国津神・牛頭天王)を祀っていたものが語の類似により九頭竜となり、社名改変に伴って天岩戸を開いた天手力男命 を祭祀するに至ったと考えられる。なお「越智氏系図」には越智親家が胄の八幡座の九頭銀竜を安置。九頭上大明神といって奉祀したとの説話がみえる。
     -寺院神社大辞典より-


拝殿

広場も広く手入れの行き届いた境内です。

境内社の金毘羅神社が拝殿の横にありました

御神体

板石を隙間なく立てて御神木を守っているかのようです
inserted by FC2 system