讃岐神社 さぬきじんじゃ | |||
旧社格 指定村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県北葛城郡広陵町三吉(巣山古墳の南西) | ||
御祭神 | 主祭神 | 大国魂神 (おおくにたまのかみ) | |
大物主神 (おおものぬしのかみ) | |||
倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) | |||
末社祭神 | 不詳 | 三上神社 | |
不詳 | 沼壱神社 | ||
不詳 | 曾根天神社 | ||
由 緒 |
三吉の北部。巣山古墳南西に鎮座する。旧村社。祭神太玉命。社伝によると、もと大国魂神・大物主神・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀り、中世箸尾城(現広陵町)城主藤原為春が広瀬神社(現奈良県河合町)の祭神を勧請し南川合明神とも称したという。当地は「和名抄」広瀬郡散吉郷に比定され、「延喜式」神名帳の同郡「讃岐神社」とされる。「三代実録」元慶七年(883)十二月二日条に、大和国正六位上散吉大建命神・散吉伊能城神に従五位下を授けたことがみえるが、神名帳の祭神数と異なる。「大神分身類社鈔並附尾」には「讃岐神社一座(大和国広瀬郡)御井命」とあり、広瀬神社社記(大和志料)に広瀬神社旧摂社散吉社(現排社)は、広瀬郡散吉郷の南川合明神から勧請したとみえ、御井神(木俣神)・大嵩神(大己貴命)・井精神(栗井水神)を祭神としている。天文十九年(1550)八月、藤原為春が改修(棟札写)、筒井順慶により神領を押領され、慶長十九年(1614)焼亡、寛永二年(1625)本多信濃守が仮殿造営、生保元年(1644)造営遷座した(社記)。 讃岐神社の項に南東約六〇〇メートルには旧摂社記三上神社(きさんじょうじんじゃ)があり、記三上は記之上(きのへ)の誤写で城上(きのへ)のこととする説もある。 -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より- | ||
一の鳥居 ここからまっすぐに社殿まで参道が続いている。 | |||
鳥居近くの案内板 | |||
讃岐神社と竹取翁の案内板 | |||
拝殿 拝殿の横には、駐車場もあります。 | |||
拝殿越しの本殿 | |||
拝殿内 絵馬などが所狭しと並んでいる。 |