櫛玉比女命神社 くしたまひめのみことじんじゃ | |||
旧社格 指定村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県北葛城郡広陵町弁財天399 | ||
御祭神 | 主祭神 | 櫛玉比売命 (くしたまひめのみこと) | |
末社祭神 | 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) | 厳島神社 | |
白山比売命 (しらやまひめのみこと) | 白山神社 | ||
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) | 天照大神社 | ||
豊受姫大神 (とようけひめのおおかみ) | 稲荷神社 | ||
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) | 春日神社 | ||
由 緒 |
弁財天集落の南東部、字長泉寺畑に鎮座。前方後円墳の後円部に本殿があり、社地は広陵町南・的場・萱野にわたる。「延喜式」神名帳広瀬部の「櫛玉比売命神社」に治定。旧村社。中世、箸尾弁財天と称し、箸尾郷の郷社として尊崇され、『大乗院寺社雑事記」長享3年(1489)2月5日条に「箸尾弁財天勧進奉伽帳加判事、自東院申之」とあり、この頃修復か造営があったらしい。箸尾氏の一族木村弥兵衛が天正10年(1582)に寄進した石燈籠に「奉寄進弁財天御宝前二世悉地祈処」の刻銘が残る。現在、本殿右方に弁財天を祀る厳島神社の小祠がある。北方、的場の大福寺(真言宗)が所蔵する応長二年(1312)の箸尾満嶋弁財天瑞夢記付記の縁起現記(文安元年写)によると、神社鎮座の古墳は聖徳太子築造で、弘安七年(1284)に当地氏人僧侶らが天河弁才天(現奈良県天川村坪内)を勧請、墳上に社殿を造立したと記す。近世には大福寺の鎮守であったが、明治の神仏分離により弁才天・南・的場・茅野各村の氏神となった。なお厳島神社は桃山期と推定される弁才天・十五童子木像を安置。ほかに弁才天の版木を蔵する。 -寺院神社大辞典- | ||
入口案内板 | |||
境内 拝殿と案内板 | |||
境内案内板 | |||
拝殿前に掲示の紳拝詞 | |||
境内社 本殿玉垣外右側に並んでいる | |||
境内社 一番右側が弁財天 | |||
| |||
境内社 八幡神社・春日神社 | |||
境内社 天照皇太神社 | |||
境内社 稲荷神社 | |||
境内社 熊野神社・白山神社 | |||
摂社 弁財天社 |