糸井神社 いといじんじゃ | |||
旧社格 村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県磯城郡川西町結崎68 | ||
御祭神 | 主祭神 | 豊鍬入姫命 (とよすきいりひめのみこと) | 本殿 |
猿田彦命 (さるたひこのみこと) | 二ノ宮 | ||
綾羽明神 (あやはみょうじん) | 三ノ宮 | ||
呉羽明神 (くれはみょうじん) | 四ノ宮 | ||
末社祭神 | 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) | 春日神社 | |
大国主命 (おおくにぬしのみこと) | 大国主神社 | ||
三筒男命 (さんつつおのみこと) | 住吉神社 | ||
保食神 (うけもちのかみ) | 稲荷神社 | ||
由 緒 | 市場垣内の南西部、寺川右岸に鎮座。『延喜式』神名帳の城下郡「糸井神社」に比定される。旧村社。社伝によると機織の技術集団の神といわれ、綾羽・呉羽の祭神からもうなづける。「新撰姓氏録」大和国諸蕃に「糸井造」の名がみえるが、高福寺領糸井荘は現田原本町法貴寺を中心に存在したので(興福寺雑役免帳)、当社との関係はわからない。建保三年(1215)の春日御社造替□御遷宮記(春日大社文書)によると、この年造り替えられた奈良春日社の末社八龍神社の旧殿が「夕崎庄内大和社」に移築されており、古くは大和社と称したようである。応永十三年(1406)九月日の法華寺田畠本券(管孝次郎氏蔵)に「ユウサキ市寺ノ垣内明神」と記される。中世、結崎郷の鎮守として結崎大明神(慶長八年石燈籠銘)・和宮(天文12年内陣机銘)・大和大神宮(棟札)などと呼ばれた。郷内の政治・経済の代表機関に宮本(杜本)があり、神社運営もこれを中心に行われた。「大乗院寺社雑事記」長禄三年(1459)八月二十四日条に、結崎住人が矢木座の権利を犯したため「結崎宮本」に抗議をしたことが記され、同月晦日条によると『結崎杜本』がこの抗議を了承している。近世には春日社とも称し(大和志)、神宮寺に観音院があった。 本殿は春日大社古殿を移建したと伝え、室町期の春日鹿曼茶羅を蔵する。拝殿内の天保十三年(1842)の絵馬は、社頭で雨乞い踊りを武士が見物する片隅に、西瓜を屋台で切り売りする姿が描かれ、当地の西瓜栽培の歴史がうかがえる。また氏子の結崎郷市場村踊連中奉納の慶応四年(1868)の絵馬(県指定有形民俗文化財)は御蔭踊を描く。秋祭りの本祭は十月二十二日。結崎の五垣内内の各頭屋は、九月二十九日に竜田川で水垢離をとる。十月一日には各頭屋に御仮屋を作り、氏神の分霊を移して宮司とソネッタン(巫人)が御仮屋の祭をし、頭屋では子供相撲が行われる。二十一日の宵宮祭りには頭屋から『お渡り』があり、御幣と御酒・稲束をつけた榊を担って出て、拝殿で頭人から宮座の一老を経て宮司に渡され、順に境内社に奉ぜられ、拝殿で祭典とミカンコの神楽が行なわれる。 -寺院神社大辞典より- | ||
神社全景 寺川にかかる宮前橋から | |||
境内 | |||
本殿 | |||
本殿 | |||
境内社 春日神社・大国主神社・住吉神社 | |||
境内社 稲荷神社 | |||
拝殿内の絵馬 | |||
拝殿内の絵馬 | |||