長尾神社
ながおじんじゃ

旧社格 指定村社・式内大社
所在地
奈良県葛城市長尾471

御祭神 主祭神 水光姫命 (みひかりひめのみこと)
白雲別命 (しらくもわけのみこと)
末社祭神 道主貴命 (みちぬしむちのみこと) 厳島神社
由 緒
竹内・長尾街道の要衝で、古代の難波・飛鳥・吉野への街道筋にある交通紳として、早くから祀られていた当社は、「三代実録」の貞観元年(859)正月二十七日に従五位下長尾神従五位上に昇叙と有り、延喜の制では、式内大社に列している。社伝によると、その後度々神階が進み、弘安四年(1281)には正二位となり、江戸時代には正一位に進んだという。享保九年(1724)の「長尾大明神明細帳」に正一位長尾大明神と記している。
吉田東吾の「大日本地名辞書」には、長尾直の租紳を祀るとあるが、長尾氏はこの地方の豪族で、「日本書紀」天武天皇の壬申(672)の条には、長尾真墨が大海人皇子方として、近江方の軍と竜田で戦ったとある。「久安年間の検注帳」(大乗院寺社雑事記所収)に、「平田庄内長尾宮三丁三反」とあり、平安末までに当社荘園が飛鳥地方に有ったことを示すが、近年この近隣の佐田小谷遺跡で、「長尾」の墨書銘ある土器が出土している。(橿原考古学研究所発表)
ところで、正徳三年(1713)の「長尾神社略記」には祭神を、「記」「紀」「新撰姓氏録」にでる吉野首(連)の租紳 水光姫命・白雲 根命とし、大字竹内の三石の三角石は降臨石というが、水光姫命 が白蛇の姿で降臨されたという。白雲根命は水光姫命の父神で、雨・雷の神として崇敬されている。正安四年(1302)僧審盛の著「放光寺古今縁起」(王寺放光寺蔵)には、長尾の神を勧請して、南御堂に祀ったが、この神は伊勢の内宮と外宮の垂迹で、当社は葛下郡の惣社であると記している。
     -奈良県史(神社)より-


一の鳥居

後方には葛城山

二の鳥居

拝殿

砂利が敷かれた境内の広場は、整備されていて気を引き締めて厳かな気分での参拝となります。

拝殿


拝殿前の狛犬

本殿

本殿

絵馬殿

絵馬殿内の絵馬

竹内街道
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