鴨都波神社
かもつばじんじゃ

旧社格 県社・式内名神大社
所在地
奈良県御所市宮前町514

御祭神 主祭神 積羽八重事代主命 (つみはやえことしろぬしのみこと)
下照比売命 (したてるひめのみこと)
相祭神 建御名方命 (たけみなかたのみこと)
大物主櫛瓺玉命 (おおものぬしくしみかたまのみこと)
末社祭神 宇賀之御魂命 (うかのみたまのみこと) 稲荷神社
猿田比古命 (さるたひこのみこと) 猿田彦神社
菅原道真 (すがわらみちざね) 天満神社
世織里津姫命 (せおりつひめのみこと) 笹神社
素戔嗚命 (すさのおのみこと) 八坂神社
祓戸四柱大神 (はらえどしはしらのおおかみ) 祓戸神社
竈三柱大神 (かまどみはしらのおおかみ) 火産霊神社
由 緒
本社の御祭神は、古く積羽八重事代主神と申し奉り、それは鴨の水辺で折目ごとに祀られる田の神という御神名で、弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀ったのに始まる。本社は高鴨社に対して下鴨社ともいい、鴨族の発祥地としてこの地方を治め、全国に分布する鴨社加茂の源である。
御祭神は、宮中八神の一つとして尊崇され、神功皇后の朝鮮遠征や天武天皇の壬申の乱に御神託を授け給いし神徳高き神にて、延喜の制では名神大社に列した古社である。
寄贈 御所ライオンズクラブ
平成十三年一月改建
     -境内の案内板より-

葛城川と柳田川の合流地に鎮座する。旧県社。「延喜式」神名帳の葛上郡に「鴨都波八重事代主命神社二座(名神大、月次相嘗新嘗)」とみえ、同書相嘗祭に「葛木鴨社(二座)」、同書名神祭に「鴨神社(二座)」として名を記す。「令義解」は地祇の一つにあげている。地元ではカモツワ、俗に鴨の宮ともよばれる。葛木鴨社・下津賀茂社・賀茂明神・下鴨社などの別称がある。祭神は都味波八重事代主命・下照比売命・建御名方命・大物主櫛瓺玉命。「特選紳名牒」は八重事代主命と下照姫命の二座とし、下照姫命は賀茂氏の租、三島溝樴姫命であると考証している。創祀は不詳であるが、『新撰姓氏禄』や「大和志料」所収の異本大三輪神三社鎮座次第によると、崇神天皇の勅により、太田田根子命の孫である大賀茂都美命が、葛城の賀茂に事代主命を奉斎し、賀茂君の氏を賜ったといい、大神神社(現奈良県桜井市)の別宮としている。平安時代には大和に三八戸、伯耆に十八戸、出雲に二八戸の神戸があり(新抄格勅符抄)、畝尾薬という和薬を伝えていた(大同類聚方)、「大和志」に「在御所村、与蛇穴・松本・竹田・南十三共預祭祀」と記すように、御所ほか四村で祭りを行った。祭祀諸費は御所五割、蛇穴2.5割、ほか三カ村がが2.5割を負担した。
鴨都波の語については、鴨都味波八重を水辺(水廻)を意味する説、下鴨弥都波能売・八重事代主命の二紳とする説、カモ(鴨)ツ(助詞)ミワ(三輪)、すなわち磯城の大神に対する葛城若神(若賀茂)説などがある。当社は櫛羅(現御所市)から移されたという伝承があり、三室村(現同上)から当社付近の灌漑用水を配分する神事があった。神主が法事川の各水口で禊祓し、村民が法螺貝を吹き水を流したという。境内には二基の五輪塔(地輪のみ)があり、「明応八年巳羊 雲岑宗春大禅定尼 七月九日」「桃渓宗源禅定門 明応九年二月廿七日」と刻む。宗春とは越智家林の娘(越智氏系図)。絵馬堂の祭礼渡御図絵馬(県指定有形民俗文化財)は寛政十一年(1799)蘭林斎筆。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


鳥居の扁額

大神神社の別宮とも呼ばれる古社

本殿

本殿の大きさにびっくりします。拝殿よりも立派で大きいです

境内社

本殿横の社 火産霊神社・猿田彦神社・天神社 このほかにも数多くの境内社があります

本殿

本殿の正一位の額


拝殿
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