為志神社
いしじんじゃ

旧社格 式内社
所在地
奈良県葛城市林堂311

御祭神 伊古比都幣命 (いこひとへのみこと)(伊卑志都幣命か?)
由 緒
為志神社遺跡石碑由来
式内小社 為志神社は伊古比都幣尊祭神として古く栄え延喜式には忍海郡二社の筆頭に記載されている由緒正 しい神社で久しくその尊厳を発揮してきたが明治四十三年二月八日をもって式内大社葛木坐火雷神社に合併されて今日に至った。
しかるに拝社の後人々は社殿の跡に為志神社遺跡の石碑を建てあたかも神殿に対するが如くこれを崇敬してきたのである。人々の志実って社殿を再建し祭神を還しここに式内小社為志神社の再興が修正したあとなお為志神社遺跡の碑を温存する所以である。
昭和五十七年十月十七日     式内小社 為志神社     再興発起人一同
-境内の石碑より-

林堂集落北方にあった神社。現在跡地に為志神社遺跡の石碑・小祠・石灯籠などが残る。明治四三年(1910)葛木坐火雷神社(新庄町)相殿に合祀。祭神は伊古比都幣命(伊毘志都幣命か)。「延喜式」神名帳の忍海郡「為志神社」に比定されるが、近世には十二所権現と称し、大彦命以下十二紳を祀っていた(社記)。社名の為志は忍海郡の別称飫斯(おし)(日本書紀 皇極天皇元年是歳条)の転音とも、忍志(おし)の誤写とも推定されている。なお平安時代に葛下郡・忍海郡の境界近くに石井荘があったが、現新庄町寺口付近に比定されている。
-寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


神社全景

境内を整備し、社殿が建てられています。

式内小社 為志神社の社標と玉垣が新しいです。

拝殿

為志神社遺跡の石碑

本殿

境内の稲荷社
inserted by FC2 system