馬立伊勢部田中神社 またていせべたなかじんじゃ | |||
旧社格 指定村社・国史見在社 | |||
所在地 | 奈良県橿原市和田町1400 | ||
御祭神 | 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) | ||
豊受姫命 (とようけひめのみこと) | |||
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | |||
由 緒 | 田中・和田・栄和町の接点に近い和田領に西面して鎮座する。豊受姫命・誉田別命・天児屋根命を祀る旧指定村社であり、国史見在社である。 『三代実録』巻十四清和天皇の貞観九年(867)正月廿五日丙寅。「授 大和国正六位上馬立伊勢部田中神従五位下」とある。当社の所伝では、元字舌宮の地に鎮座していたが、慶長年間(1596-1615)飛鳥川の洪水で流され、今の社地に遷座したという。『高市郡神社誌』にとると、古宮とは古代豊浦の故地を指すが、当社との交渉がないといわれている。『大和志』は「昔在和田村後遷田中村界 今称八幡 二村共祭」とある。 現在三間社の本殿中央に八幡宮、左に春日神を祀るが、本来の祭神は豊受姫命であったとみられる。それが後世時流にならって春日神と八幡神を配祀し、却って八幡紳を主神とするようになった。このことは、現存の石灯籠の刻銘によっても知られる。 広吉家文書(『旧橿原市史』資料編)によると、延宝三卯年(1675)に当社について「除地市、鎮守八幡宮・天照大神宮・春日大明神、田中和田立会』となっているが、明治の頃も八幡神社と呼び、同四十一年には、八幡神社名で村社に指定を受けている。その後国史見在社の古名に復すべく出願、遂に大正八年十一月に前指定を取消して、馬立伊勢田中神社となった。 本殿は流造朱塗の三間社で銅板葺。桁行2.66メートル、梁行1.93メートル。 例祭は十月十七日。三月末の祈年祭、七月上旬の早苗振祭、例祭(夜宮)には御湯行事が行われる。宮座は内田中に四組、外田中五組のところへ新講が加わった。和田・栄和町はそれぞれ一組である。石灯籠中最古のものは「八幡宮御宝前 寛文二年(1662)八月吉日和田村敬白」との刻銘のものである。 -奈良県史(神社)より- | ||
神社入口 | |||
参道 きれいに手入れの行き届いた神社です。 | |||
境内の由緒板 | |||
拝殿 | |||
本殿 | |||
本殿 |