子部神社
こべじんじゃ

旧社格 村社・式内大社
所在地
奈良県橿原市飯高町372

御祭神 小子部命 (ちいさこべのみこと)
武甕鎚命 (たけみかづちのみこと)
経津主命 (ふつぬしのみこと)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
姫大神 (ひめのおおかみ)
素盞鳴命 (すさのうのみこと)
斎主命 (いわいぬしのみこと)
由 緒
近鉄大阪線真菅駅の北方1.2キロメートル、飯高集落西方、瑞花院西隣に鎮座する。小子部命・武甕鎚命・経津主命・天児屋根命・姫大神・素盞鳴命・斎主命を祀る。創建年代は明らかでないが、貞観元年(859)正月二十七日に神階従五位上に昇叙と『三代実録』に出ているばかりか、天平十九年(747)の『大安寺伽藍縁起並流記資材帳』に、舒明天皇の十一年、百済川辺の子部社の木を伐りて九重塔を建て、百済大寺としたが、社神が恨んで堂舎を焼失させたという。百済寺は当社西方約二キロメートルの現広陵町大字百済説が一般的であることからすると遅くても天平十九年以前に当社が創祀されていることになる。但し百済大寺については異説もある。
小子部命は『日本書紀』雄略天皇の祭りに「蜾蠃に命せて、国内の蚕を聚めしめたまふ。ここに蜾蠃、誤りて嬰児を聚めて天皇に奉献る」とあり。嬰児を蚕と違えた蜾蠃に賜りて養わしめられたので、「嬰児を宮墻の下に養す。依りて姓を賜ひて小子部連とす」とある。『新撰姓氏録』左京皇別に「小子部宿禰、多朝臣同祖。神八井耳命之後也。大泊瀬幼武天皇御世所遺諸国。 取 蚕児。 誤聚小児貢之天皇大晒。 腸小児部連」とある。明治二十四年(1891)の明細帳には祭神を子部大神とし、境内三社の春日四紳と八社の素戔嗚命と厳島社の市杵島姫命をまつると届出、昭和の『宗教法人法による届出書』は前記した七柱神を祭神と届出ている。『延喜式』神名帳では、『小部神社二座』として式内大社として登載され、月次新嘗祭に案上官幣に預かる神社としている。神宮寺は隣接する吉楽寺瑞花院は考えられるが、俗に飯高の御堂とも呼び、本堂は室町中期の建築で国の重要文化財。
例祭は十月十八日。
     -奈良県史(神社)より-

百済大寺は、桜井市吉備の吉備池廃寺であるとの説が近年の発掘調査の結果、有力です。
『飛鳥幻の寺、大官大寺の謎』木下正史著に詳しく書かれています。


神社外観

祭神が大阪の枚岡神社と似ている

拝殿

本殿


瑞花院本堂の案内板

この案内板の西側が子部神社です

瑞花院本堂
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