人磨神社
ひとまろじんじゃ

旧社格 指定村社
所在地
奈良県橿原市地黄町

御祭神 柿本人麻呂 (かきのもとひとまろ)
由 緒
重要文化財
人麿神社本殿 一棟
昭和五十四年五月二十一日指定
神社の創立は明らかでありませんが、本社は新庄町の柿本神社から分祀されたと伝えられ江戸時代以降には、人丸大明神・柿本人麻呂大明神と称したことが知られています。本殿は、一間社隅木八春日造りの小社殿で棟木銘に康永四年(1345)と墨書きされ、この時代の建立様式の特徴がよく現れており蟇股や木鼻等の細部の意匠も優れています。
建立当初は屋根が厚板葺で隅木は無く脇障子が身舎前柱の位置に移る等後世の修理によって改変をうけ現在に見られる形になっています。資料には棟札十一枚が所蔵され元和四年(1618)・寛文二年(1662)・文政三年(1820)・功化二年(1854)・明治年間四枚・昭和年間三枚があっていずれも修理棟札です。
     -境内の案内板より-

地黄集落北西に鎮座。柿本人麻呂を祀る。旧村社。口碑に現奈良県新庄町の柿本神社から分祀したと伝える。本殿は一間社隅木入春日造・檜皮葺で康永四年(1345)の棟木銘があり、国指定重要文化財。神社南方地黄池(桜池)の傍らには若宮社と称する小祠があり、その西隣には浅草寺(現東京都台東区)本尊があったと伝える観音堂があった。「西国三十三所名所図会」に、人麻呂祠。地黄村にあり。柿本大明神の額を掲ぐ。かたはらに池ありて此周に数珠の桜樹をうえたり、花のころは美観とす。遠近より衆人うちむれて、終日詩を賦し歌よみ舞うたひて酒宴をもよほす。桜の下に観音の小堂ならびに玉津島明神の小祠あり。
とみえる。五月四日の墨付け祭(地黄のススツケ行事として県指定無形民俗文化財)には当社境内でも墨の付けあいがある。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


神社全景

鳥居から拝殿へ

本殿

重要文化財

神社から池方向を見る

横に玉津島神社

玉津島神社 ため池の横に鎮座
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