美保神社
みほじんじゃ

えびす様の総本宮
旧社格 国幣中社・式内小社
所在地
島根県松江市美保関町美保関608

御祭神 主祭神 三穂津姫命 (みほつひめのみこと)本殿に向かって右側
事代主神 (ことしろぬしのかみ)本殿に向かって左側
末社祭神(境内) 神屋楯比売命 (かむやたてひめのみこと) 大后社
沼河比売命 (ぬなかわひめのみこと)
天日方奇日方命 (あめのひかたくしひかたのみこと) 若宮社
埴山姫命 (はにやまひめのみこと) 宮御前社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 恵比須社
末社祭神(境外) 事代主命 (ことしろぬしのみこと) 沖之御前
活玉依姫命 (いくたまよりひめのみこと)
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 地之御前
活玉依姫命 (いくたまよりひめのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと) 客人社
三穂津姫命 (みほつひめのみこと) 天王社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 地主社
国津荒魂神 (くにつあらたまのかみ) 久具谷社
多邇具久命 (たにぐくのみこと)
建御名方神 (たけみなかたのかみ) 客社
久延毘古命 (くえびこのみこと) 糺社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 筑紫社
田心姫命 (たごりひめのみこと)
端津姫命 (たぎつひめのみこと)
大綿津見神 (おおわだつみのかみ) 和田津見社
豊玉彦命 (とよたまひこのみこと)
豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)
少彦名命 (すくなひこなのみこと) 天神社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 市恵美須社
由 緒
事代主神
 天照大神の御弟須佐之男命の御子孫で、出雲大社に鎮まります大国主神の第一の御子神様にましまして、天神の系を承けさせられた尊い大神様である。凪に父神を御扶けなされて国土の経営産業福祉の開発におつくしになった。天疎降臨に先だち天つ神の使の神が出雲にお降りになって大国主神にこの国を天つ神に献れとお伝えになった時、事代主神はたまたまこの美保碕で釣魚をしておいでになされたが、父神のお尋ねに対し、卑しこの国は天つ神の御子に奉り給へと奉答せられ、海中に青柴垣(あをふしがき)をお作りになり天逆手(あめのむかへで)を泊っておこもりになり、大国主神はそのお言葉通り国土を御奉献になったと伝えている。かくて事代主神は多くの神々を師いて皇租を奉護し我国の建国に貢献あそばされた。又神武天皇綏靖天皇安寧天皇三代の皇后はその御子孫の姫神で、国初皇統外戚第一の神にあたられられ、なほ古来宮中八紳の御一柱として御尊崇極めて篤い神様である。
 當神社古傳大祭である四月七日の青柴垣(あをふしがき)神事、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事は、悠遠の昔、わが大神様が大義平和の大精神を以て無窮の国礎を祝福扶翼なされた高大な御紳業を伝承顕現し奉るものである。

三穂津姫命
 高天原の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御姫神にましまして、大国主神の御后神として、高天原から稲穂を以て御降りになり庶民の食料として、廣く配り興へ給うた有難い大神様で、美保といふ地名はこの神の御名にゆかりありと古書は傳へている。

 沿革
 さて當美保関は前に述べたように大神様の御紳蹟地であるばかりでなく、所造天下大神とたたえまつる大国主神がその紳業の御協力の神少彦名命をお迎えになった所であり、又その地理的位置は島根半島の東端出雲国の関門で、北は隠岐、竹島、鬱陵島を経て朝鮮に至り、東は紳蹟地、地の御前、沖の御前島を経て北陸(越の国)、西は九州に通づる日本海航路要衝を占め、更に南は古書に伝える国引由縁の地弓ヶ浜、大山に接し、上代の政治文化経済の中心であったと考えられる。現に考古学上の遺跡や遺物によってもこれを窺うことが出来る。かような訳で當神社は非常に古く此所に御鎮座になり奈良時代已に世に著はれ、更に縁起式内社に列せられ、後醍醐天皇は隠岐御遷幸の砌り神前に官軍勝利、王道再興を御祈願になったと伝えるが、その後戦乱の世に軍事上、経済上の理由から群雄の狙うところとなり、遂に元亀元年、御本殿以下諸殿宇を始めとして市街悉く兵火のため烏有に皈し、吉川廣家これを再興し日本海航路の発達と共に上下の崇敬を加え、明治十八年には国幣中社御列格の御沙汰を拝し、更に明治二十一年には叡慮を以て御剣一口を御下賜あらせられた。
     ―美保神社略記より-


美保湾からの参道

参道

境内の案内板

神門と回廊

収蔵庫前から

参道から

正面からの神門

拝殿

拝殿も大きいが階段の広いのに驚く。

拝殿と本殿

拝殿と本殿

本殿

拝殿内部

拝殿前での日の出

回廊内部 

境内社(宮御前社)

本殿前の狛犬                              御霊石

本殿奥の若宮社

境内の狛犬

境内の石灯籠

境内からの入口(美保港)

青石畳通り

仏谷寺と美保神社を結ぶ参道昔は、多くの人で賑わい青石で舗装するほどの観光(参拝)道

廻船御用水
(美保関おかげの井戸)

美保港を利用する船の大切な飲料水を供給していたのだろう港からこのように近い場所での井戸は、重宝されたことと思われる。 神社の参道横でもあり、参拝せずにはすまないだろう。

美保関灯台                            地蔵崎の釣り人
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