宇気比神社(浜島) うけひじんじゃ(はましま) | |||
旧社格 村社 | |||
所在地 | 三重県志摩市浜島町浜島681 | ||
御祭神 | 主祭神 | 天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと) | |
天穂日命 (あめのほひのみこと) | |||
天津彦根命 (あまつひこねのみこと) | |||
活津彦根命 (いつひこねのみこと) | |||
熊野久須毘命 (くまのくすひのみこと) | |||
多紀理姫命 (たぎりひめのみこと) | |||
市杵島比売命 (いちきしまひめのみこと) | |||
多岐津姫命 (たぎつひめのみこと) | |||
相祭神 | 豊玉比女命 (とよたまひめみこと) | ||
衣通姫 (そとおりひめ) | |||
宇伽之御魂神 (うかのみたまのかみ) | |||
大宮姫命 (おおみやひめのみこと) | |||
須佐之男命 (すさのおのみこと) | |||
雷神 (いかづちのかみ) | |||
大物主神 (おおものぬしのかみ) | |||
崇徳天皇 (すとくてんのう) | |||
伽具土神 (かぐつちのかみ) | |||
大山祇命 (おおやまづみのみこと) | |||
事代主命 (ことしろぬしのみこと) | |||
由 緒 | 当社はもと八王子社と称したが、明治4年8月に宇気比神社改称した元村社で、古くは現境内の南低地の海岸に鎮座されていたが、明治3年現在地へ遷座し奉ったものである。 大字浜島字弁天に鎮座の那都珂志社、祭神衣通姫と、大字浜島字西早に鎮座の稲荷神社祭神倉稲魂命を、明治40年9月16日に合祀して今に至ったものである。 合祀前の稲荷神社だけは、文久4年(1864)4月創祀の記録がある。 特殊神事 正月11日に弓引と盤の魚行事が行われ伝承されているので、その記録を転載する。 「弓引射手は氏子中より未婚の青年2名選定す。7日間日々齋戒して練習を行う例なり。的は大・小2個を造る。森家(当主辯也)担当する所にして代々世襲なり。之を「的踏」と称する。元日より的貼のすむまで、一般に糊を使用せざる慣例なり。弓引の前に「盤魚」と称する行事あり。鮮魚を截るの式にして之を掌るは従来井上家(当主伴藏)の世襲とする所なり。鮮魚は鰡2匹を用うるを例とす。盤魚所役は裃を着け先づ頭を離して次に身卸しをなしたる後、原形の如く接合せて退く、此間魚を扱うには爼箸を用い手をふれざるを式とす。次に魚見役出でて、曩に原形の如く接合せたるものを更に之を細截し、頭は自ら持帰り切身は列席者に配布す。各自家に持帰りて神棚に供し年中の豊漁を祈るを例とす。 次で弓引を行う。 射手交互大・小の的に箭三本宛を射る。当日小的の黒星を射たる時は「祝直」と称して翌日引直しをする。年中一度の重要祭事なれば氏子一同盛装して氏神に参拝し、之を観るを楽しみとせり。最近は各地より多数の見学者あり。 ―三重県神社庁 教化委員会― | ||
神社入り口 すぐ横に社務所と駐車場(数台分)があります。 | |||
境内入口 | |||
手水舎 階段を上がってすぐ右側 | |||
奉納されたイカリ | |||
社号標 | |||
奉納された絵馬 このような絵馬は、めづらしい | |||
拝殿 | |||
拝殿前の狛犬 | |||
神宮遥拝所 | |||
御神木 | |||
拝殿内 | |||
本殿 裏参道から少しだけ見えました。 |