楢本神社
ならもとじんじゃ

旧社格 指定村社・式内社
所在地
奈良県生駒郡平群町梨本298

御祭神 主祭神 菊理姫命 (きくりひめのみこと)
末社祭神 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
保食神 (うけもちのかみ) 稲荷神社
由 緒
『延喜式』の「雲甘寺坐楢本神社」が当社とされ、江戸期には白山権現社、明治には野間田明神とも呼ばれ、祭神は菊理姫命。
水滴に宿る神で、産土神(生命の根源の神)にあたる。元は、東五〇〇m付近の丘の上にあった雲甘寺の鎮守社であったが、明治初年(一八六八)に寺が廃され、同二四年頃に現在地に遷座されたという。拝殿の奥に立派な朱塗りの本殿があり、伝承では雷難除去に御利益があったという。摂社の春日社は、吉田村の氏神を合祀した社殿という。
梨本村・西向村・吉新大字(吉田村・新家村)の四村の氏神で、宝永三年(一七〇六)の改帳には、五×九尺の白山権現社を中心に、二五二坪の広い境内地を有していたとある。
延宝六年(一六七八)の石灯籠や白山権現と彫られた元禄一六年(一七〇三)の手水石が境内にあり、文久二年(一八六二)の湯釜も伝わる。
     -案内板より-

式内小社に比定される当社は今、梨本と吉新の氏神で野間田明神または白山権現とも呼ばれた。『三代実録』の貞観三年(861)十月二十二日の条に雲感寺無位楢本神に従五位下を、同八年五月二十四日の条に大和国平群郡雲甘寺従五位下楢本神宮社に列するとある。
 明治二十五年の『神社明細帳』に「旧村地ハ宮脇ヨリ東四町ノ字巳郡属ト称スル所ニアリシ雲甘寺ノ鎮守ナリキ。廃寺ト共ニ現地ニ移ル」と記されている。宝永三年(1606)の「寺社改帳」(千光寺蔵)には、「白山権現社(五尺・九尺)境内無年貢地東西拾四間 南北拾八間 梨本村西向村吉田村新家村四カ村之氏神ニ而御座候」とある。祭神は『神社明細帳』に菊理姫命とあり、大正四年の『神社調査書』には、古来雷難除去の神であったとの口碑を記している。
     -奈良県史(神社)より-


神社入口

境内

本殿

拝殿内

境内から

拝殿
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