伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう | |||
旧社格 官幣大社・淡路国一宮・式内名神大社 | |||
所在地 | 兵庫県淡路市多賀740 | ||
御祭神 | 主祭神 | 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ) | |
相祭神 | 伊弉冉大神 (いざなみのおおかみ) | ||
末社祭神 | 天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) | 左右神社 | |
月讀尊 (つきよみのみこと) | |||
蛭子大神 (えびすおおかみ) | 岩橘神社 | ||
不詳 | 住吉神社 | ||
不詳 | 鹿島神社 | ||
不詳 | 竈神社 | ||
不詳 | 根神社 | ||
由 緒 | 御由緒 古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごされたと記される。その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創祀されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日少宮(ひのわかみや)・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められている。 本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲に濠が巡らされたと伝へ、正面の神池や背後の湿地はこの周濠の遺構といふ。 建物や工作物は、明治九年から同二十一年に官費で造営されたものが殆どだったが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進による。 境内地は、約一万五千坪。沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆われ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社である。江戸時代の地誌によれば、二丁四方の社地を領したとあり、広大な神域であった 幽宮(かくりのみや) 大鳥居から正参道を進むと、二の鳥居(鋼製)の先に神池が広がり、反り石の神橋が架かって檜皮葺の重厚な神門が参詣者を迎える。 全国には、神宮號を宣下された格式高いお宮が、二十三社あるが、いづれも御皇室にご縁の深い神社並びに天皇をお祀りするお宮で、當神宮は御皇室の御祖神たる天照大御神の御両親にあたり日本民族の大祖先紳である。 日本書紀に、「是以構幽宮於淡路之洲」とある。 -参拝の栞より- | ||
境内入口 国生み伝説 現存する最古の書物『古事記』、『日本書紀』には、『国生み神話』と称される部分に、神代七代の最後に登場するイザナギ・イザナミ男女二柱の神は、最初に「於能碁呂島(オノコロジマ)」に降り立ち、ここから淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡および大倭豊秋津島(本州)の大八島の国を生みました。 伊弉諾の大神は国造りの大業に始まる神功を終えられて後、最初にお生みになった淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて、余生を過ごされたといわれています。 | |||
鳥居横の狛犬 | |||
参道 | |||
さざれ石 | |||
由緒案内板 | |||
神池 | |||
神門 | |||
拝殿 | |||
本殿 | |||
幣殿中門 | |||
本殿 | |||
左右神社(左) 鹿嶋神社・住吉神社(右) | |||
岩楠神社 夫婦クスが見事です | |||
夫婦楠の案内板 | |||
淡路祖霊社 | |||
根神社・竈神社 |