桜井寺
さくらいじ

潤生山 桜井寺
浄土宗
天暦年間、桜井康成の創建との伝承の古寺だが、天誅組本陣跡として有名
所在地
奈良県五條市須恵1-3-26

本 尊  阿弥陀如来
由 緒
須惠の南西部にある。浄土宗で潤生山と号し、本尊は阿弥陀如来。慶長九年(1604)の縁起によれば、天慶五年(942)桜井康成によって創建されたが、正長元年(1428)に兵火にあい焼失、のち天文二十二年(1553)郡司平茂知ならびに上総別所知興が堂宇を再建、この時新たに鐘を鋳造したという。「大和志」には「在須恵村、昔為統神宮寺、有鐘、鐫臼、天文二十二年鋳、傍有清泉、名桜井」とある。文久三年(1863)八月の天誅組挙兵の際本陣となり、五条御政府ないし五条御役所と称した。この史実から当寺は明治維新発祥の地と言われている。旧本堂は昭和40年(1965)神奈川県箱根山中に移されたが、寺内には代官鈴木源内ら五人の首をのせたと伝える石の水鉢があり、門前に「史跡天誅組本陣址」の石碑が立っている。境内に「さくらがりきとくや日々に五里六里」の芭蕉句碑(笈の小文)があり、碑背には「淳和三年葵亥二月十二日五条連中浅生庵□酔謹書」と刻する。また竹本三郎兵衛ら作の浄瑠璃「艶容女舞衣」で知られる三勝・半七の比翼塚もある。浄瑠璃では、半七は五条新町出身で、舞台は大坂上塩町の酒屋茜屋となっているが、吉野川の清流を利用した晒木綿問屋だったらしい。本町二丁目には「赤根屋半七宅址」の石碑が立っている。寺前には寺名・地名となった桜井(弘法井)がある。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


入り口山門

案内立札

本  堂

コンクリート造りですこし興ざめ

代官の首を洗った水鉢

境内の庭園

境内全景
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