呉津孫神社
くれつひこじんじゃ

旧社格 村社・式内社
所在地
奈良県高市郡明日香村栗原714

御祭神 主祭神 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
末社祭神 天穂日命 (あめのほひのみこと) 八王子神社
活津彦根命 (いきつひこねのみこと)
熊野久須毘命 (くまのくすひのみこと)
市寸島姫命 (いちきしまひめのみこと)
多岐津姫命 (たぎつひめのみこと)
多紀理姫命 (たぎりひめのみこと)
天津彦根命 (あまつひこねのみこと)
天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
不詳 鎮守神社
由 緒
近鉄南大阪線飛鳥駅の東南約二キロメートル、栗原集落の丘陵上に鎮座する。主神が木花開耶姫命で、相殿に天児屋根命を祀る。『延喜式』神名帳に式内社として登載されている。栗原はかって呉人の移住した呉原で、『新撰姓氏禄』左京諸審上に「牟佐村主。呉孫権男高之後也」とあり、同右京諸審下に祝部・工部は共に「呉国人田利須須之後也」とあり、『日本書紀』雄略天皇の条に、十四年正月十三日に身狭村主青等が呉国の使と共に呉国に使いして呉国の奉った手末の才伎漢織・呉織・衣縫をひきいて帰ったが、これ等呉人を桧隈野にはべらしめたのでここを呉原と名づけたとある。当社はこれ等呉人の租紳を祀った神社と考えられる。
 『大和志』に「在栗原村、今称下ノ宮」とある。本来は呉氏の租神の呉津彦命にほかならぬが、何時のころからか上記二紳を祀る社となった。宮座講の宝暦三年(1753)の御湯釜の銘にも「和州高市郡栗原村八幡宮春日大明神御湯釜」とある。『高市郡神社誌』に「現今境内神社に鎮守と称せる小祠あるは、蓋し当社の名残ならん歟。宜しく呉津孫神を主神となし、其の他の諸神を配祀すべきなり」とある。     -奈良県史(神社)より-

神社全景
神社全景

中央の杜が神社です。
手前の看板は、栗原のバス停です。正面左側の道からすぐそばです。
神社入口
神社入り口

駐車スペースなどはありません。
社殿
境内

あまり広くはないが整然とした明るい境内です。
社殿
社殿
金毘羅大権現
金毘羅
手水舎
手水舎

右側の大木は「ムクロジュ」で、境内に多数の実が落ちていました。
狛犬(左) 狛犬(右)
狛犬
境内の石仏 石灯籠
石仏と石灯籠
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