天香山神社
あめのかぐやまじんじゃ

旧社格 村社・(式内大社)
所在地
奈良県橿原市南浦町608

御祭神 主祭神 櫛真命(くしまのみこと)
末社祭神 春日三紳 春日神社
品陀和気命 (ほんだわけのみこと) 八幡神社
由  緒
天香久山北麓に鎮座。北浦神とも称し、『延喜式』神名帳十市郡の「天香山坐櫛真命神社」に比定される(大和志)。旧村社。式内天香山坐櫛真命神社は元の名を大麻等乃知神と称し、(「延喜式」神名帳)、天平二年(730)の大倭国正税帳(正倉院文書)によると久志麻知神は神田一町を有し、大同元年(806)には大和国に神封一戸を寄せられた(新抄格勅符抄)。「三代実録」貞観元年(859)四月には中臣氏人を宣命使とし、当社に幣帛を奉って疫病火災の変を祈らしている(本朝世紀)。山城国京中坐神で卜庭神であった久慈真知命神社の本社にあたり(「延喜式」神明帳)、卜事をつかさどった神である。「日本書紀」神武天皇即位前紀戌午年九月五日条に、天皇が天神の教えに従い、天香山の社の中の土を取って天平瓮・厳瓮をつくったとあり、これも当社のこととされる。神名クシマチのマチは「中臣の寿詞」に「かく告らば、まちは弱韮にゆつ五百篁生ひ出でむ」とあるように、卜事の現れる意の古語「兆」と同意とされ(大和志)、古来、占兆に関係の深い天香久山に鎮座する卜庭神であった。「大和志料」などはこれが香久山山頂に鎮座したものと見る。
-寺院神社大辞典より-


神社入り口

昔は、山頂にあったそうだが今は、北側の山麓にあります

鳥居と社殿

拝殿

波波伽の木

赤埴聖地の碑

天真名井

万葉歌碑

久方の 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも

(ひさかたの)天の香具山にこの夕べ霞が棚引いている、春が立つらしいなあ。
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