治田神社 はるたじんじゃ | |||
旧社格 村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県明日香村岡字治田964 (岡寺の西 岡寺の旧境内地に鎮座) | ||
御祭神 | 品陀別天皇 (ほんだわけてんのう) | ||
大物主命 (おおものぬしのみこと) | |||
素盞鳴命 (すさのおのみこと) | |||
由緒沿革 | 当社の創立は、其の年代詳からざれども延喜式内社なれば平安朝以前の社であることがわかる。 もと治田氏の神々を奉祀され、文案時代に一時大国主命の和魂である大物主命を奉祀されたことが古書にあります。 更に社名を八幡宮と称して品陀別天皇を奉祭し岡村字城山の八坂神社を併合して今日に至っている。 -境内の案内板より- | ||
参 道 岡寺への参道の途中に上り口がありすこし登ったところから拝殿を見る | |||
拝殿手前の像 拝殿改築記念 昭和24年5月 と書かれています。 | |||
本殿 | |||
参道 岡寺の前から | |||
境内の案内板 | |||
史跡 岡寺跡 岡寺(龍蓋寺)は儀淵僧正によって建立されたと伝えられている寺院であるが、創建当初の伽藍は、仁王門の西方、ここ治田神社境内にあったと考えられている。境内地には礎石がいくつか残っており、拝殿の地覆石には凝灰岩の切石が使われている。また、古瓦の散布もみられることから、このあたりに古代の建物があったことは間違いない。昭和57年には橿原考古学研究所によって発掘調査が行われており、基壇建物の北端を画したと思われる凝灰岩の切石が4.5mほど並び、その東端に階段があったらしいこともわかっている。その他の建物や伽藍配置については不明であるが、岡寺所蔵の寛文年間(1661~1672)の絵図には、治田神社付近に金堂や講堂・塔の跡地が描かれている。発掘調査で見つかった建物は、南向きに建つ7間×4間の金堂と推定される。 (現地説明案内板より) |