飛鳥坐神社 あすかにいますじんじゃ | |||
旧社格 村社・式内名神大社 元伊勢とも言われ飛鳥の中心的神社 | |||
所在地 | 奈良県高市郡明日香村飛鳥707-1 | ||
御祭神 | 主祭神 | 事代主神 (ことしろぬしのかみ) | |
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) | |||
飛鳥三日比売神 (あすかみかひめのかみ) | |||
大物主神 (おおものぬしのかみ) | |||
末社祭神 | 応神天皇 (おうじんてんのう) | 八幡神社 | |
神功皇后 (じんぐうこうごう) | |||
大国主命 (おおくにぬしのみこと) | 中之社 | ||
大物主命 (おおものぬしのみこと) | |||
天照大神 (あまてらすおおみかみ) | 奥之社 | ||
豊受大神 (とようけおおかみ) | |||
瀬織津比咩神 (せおりつひめのかみ) | 祓戸社 | ||
速開都比咩神 (はやあきつひめのかみ) | |||
気吹戸主神 (いぶきどぬしのかみ) | |||
速佐須良比咩神 (はやさすらひめのかみ) | |||
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) | 八神殿 | ||
神皇産霊神 (かみむすびのかみ) | |||
足産霊神 (たるむすびのかみ) | |||
大宮売神 (おおみやめのかみ) | |||
生産霊神 (いくむすびのかみ) | |||
事代主神 (ことしろぬしのかみ) | |||
御膳神 (みけつのかみ) | |||
倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) | 稲荷社 | ||
神武天皇 (じんむてんのう) | 宇賀御魂神社 | ||
由 緒 |
祭神は事代主神・高皇産霊神・飛鳥三日比売神・大物主神 四紳であるが、『日本書紀』朱鳥元年(686)秋七月五日に飛鳥の四社に幣を奉られたとあるが、当時概に四座の神を祀っていたことを示している。しかし神名については区々である。『出雲国造神賀詞』には、大穴持命が倭大物主櫛甕玉命を大御和の神奈備に、阿遅須伎高孫根命を葛木鴨の神奈備に、事代主命を宇奈提に賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて皇孫命の近き守り神にしたとあるのは、この四紳を当社に合祀した事を示すとの説もあるが、最初は賀夜奈留美命一座であったのでないか。それがいつのころか四紳となった。『高市郡神社誌』では飛鳥三日比売神 とは賀夜奈留美命だとあるが、当社の主神であったのを忘れられて事代主命を主神と見ることになったとも見られる。『日本紀略』の天長六年(829)三月十日の条に「大和国高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社、遷同郡同郷鳥形山、依神託宣也」とあるように当社は甘南備から遷祀したものである。旧甘南備山については今の雷丘・甘樫丘・橘のミハ山など諸説あって定めがたい。 貞観元年(859)九月八日他の42社と共に遣使奉幣して風雨の祈りをされている(『三代実録』)し、『延喜式』神名帳には名神大社として月次相嘗新嘗に案上官幣に預かる旨記されている。特に四時祭上の祈年祭の項には水分19社の1として馬一匹を加うとある。 毎年二月の第一日曜日(従来は旧正月十一日)に古式にしたがって御田植祭が営まれ、豊年を予祝する夫婦和合の神事として名高い。 -奈良県史(神社)より- | ||
飛鳥坐神社の鳥居 | |||
拝殿と奥に見える本殿が新しくなっていました 本殿や拝殿は近年、吉野の丹生川上神社上社から移築されたもの。出雲系の神がみを祭り、皇室の守り神にしていたのでは手前の道路には、「元伊勢」の石標があり、伊勢神宮との関係もあるのでわないかと思います | |||
万葉文化館の広場から見た飛鳥坐神社 | |||
神社境内の摂社 奥に大きな石が祭られています (奥の大石) | |||
奥の大石 御皇産霊神 | |||
むすびの神石 | |||
八幡神社 | |||
金毘羅神社・八坂神社 | |||
飛鳥山口坐神社 (すかやまぐちにますじんじゃ) | |||
旧社格 式内大社 | |||
御祭神 | 大山津見神 (おおやまつみのかみ) | ||
久久乃知之神 (くくのちのかみ) | |||
猿田彦乃神 (さるたひこのかみ) | |||
由 緒 | 飛鳥坐神社の末社として同社境内に鎮座。 祭神は大山津見乃神・久久乃知之神・猿田比古神。飛鳥山口神は飛鳥・藤原地方を取巻く大和六処山口社の一で(「延喜式」祝詞)、「新抄格勅府抄」によると「安宿山口神」は大和に四戸、播磨に10戸の紳封があり、当時としてはかなり大きな神社であった。天安三年(859)一月二十七日、従五位下より正五位上を授けられ、同年(貞観元年)九月八日、風雨祈願のため奉幣されている(三代実録)。「延喜式」神名帳の高市郡に「飛鳥山口坐神社(大 月次新嘗)」とみえ、祈雨紳祭八十五座の一でもあった。飛鳥坐神社境内への配祀年代は不明で、元禄11年(1698)の大和国飛鳥社図(社蔵)にはみえず、「大和志」に初めて鳥形山鎮座のことを記す。「五郡神社記」は「飛鳥水分神社、帳云高市郡飛鳥山口坐神社一座、在加美郷飛鳥山避谷、為飛鳥川々上」と記し、「飛鳥水分神社」とも称して飛鳥山の裂谷(酒船石のある地か)にあったとする。飛鳥山について「高市郡志料」に、広義には現鳥形山から南東の隣接地、狭義には鳥形山のみを言うとされ、広義の飛鳥山の一部天神山頂上の字ミノヤブの古来、笠縫神祠跡と伝承する芝地があると見える。この芝地を飛鳥山口坐神社旧地とする説があり、またこれを飛鳥坐神社御旅所とも伝える。ちなみにミノヤブの西隣には字アサカがある。 -寺院神社大辞典より- | ||
飛鳥山口坐神社 | |||
鳥居の横にひっそりと筆塚の石碑 |